牧師紹介
   
野田禎   12月生まれ。  容子 5月生まれ
Tadashi Noda            Yoko Noda

 出身は静岡市、三人の子供達の父です。
今、愛用のデジカメだったらどんな風に写るのか、そんな目線で自然やいつもの風景を見直しています。意外な発見があります。
見過ごしていた花の美しさに、月の光に感動しています。
   
   
(インマヌエル教団の本部のある、お茶の水で)

 さて、私がクリスチャンになったのは、19才の時。その頃、浪人して(番傘は作っていませんでしたが・・・、この前高校生にこういったら「番傘」って何?って言われました。)東京にいました。人は何のために生きるんだろう。人はいつかは死ぬのに。偶然人は生まれて、偶然死ぬんだろうか。愛って何だろう。そんなことを考えていました。人生が何か空しくて空しくて。偶然死ぬんだったら、自分でその偶然を作って・・・・。そんなことを考えてため息ばかりの毎日。

 ちょうどその頃たまたま入った本屋さんで、ちょうど目の高さにあった本、それが、三浦綾子著「愛することと信じること」でした。愛に飢えていたわたしは、躊躇なくその本を買って読みました。「このご夫婦はクリスチャンで彼らの信じている神さまの愛って、僕の持っている愛と違う。神さまの愛って与えて惜しまない愛なのか。」そんなことを感じました。
 駅のプラットホームに立っていたら、教会の看板が目に入りました。そこには
「わたしが道であり、いのちであり、真理なのです。」イエス・キリストと書いてありました。そのときまで、自分の殻に閉じこもり人の愛を受け入れようとしなくなっていた私の堅い殻を、何かその聖書の言葉は強い光のように突き抜けて私の心の中に入りました。そして、何とも言えない、暖かさを感じました。丁度疲れて帰ってきて、温かい柔らかな布団に身を横たえたような安らぎを感じました。ダメでもともと。そう思って、教会に生まれて初めて行きました。
 教会は20人ぐらいの方がいらっしゃいました。とても温かく迎えて下さいました。 その教会の牧師はジョン・グレイビル先生でした。

 聖書を買い求め、むさぼるように聖書を読みました。すると真っ黒だった心の中に聖書の光が入って来ました。皆さんもご経験があると思いますが、暗い所ではゴミがあっても分かりませんが、光が入ると、あれ、こんなゴミがと思うようなこと。真っ黒だった私の心に光が入ってきたとき、私の心にはいろいろな罪があることが分かりました。教会に行き、先生から聖書の話を聞く内に、私の心の中の罪がさらにはっきりしました。それとともに、私の罪のために十字架にかかってイエスさまが死んで下さったことをしりました。
 そして、わたしは1978年3月26日の日曜日、丁度イースター礼拝の時にイエスさまを私の救い主と信じ、罪を赦して頂きました。その時から私の生涯は変わりました。罪が赦されて新しくなったのです。
 だれでもキリストの内にあるならその人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よすべてが新しくなりました。 (新約聖書Uコリント5:17)聖書
のことば通り私は新しくなりました。そしてイエスさまが私の心の中に入って下さり心の中から生きる喜びを与えて下さっています。私がクリスチャンになった2年後、父も母もイエスさまを信じました。 
 私は大学と大学院で学ぶ機会が与えられ、(その間高校の教師や専門学校でも教鞭を執らせて頂きました。とっても貴重な体験。そしてすばらしい出会いの時でした。)牧師になるように神さまに導かれ神学校に行き、現在の私があります。
 人生にはいろいろな出会いがありますね。私にとってイエスさまとの出会いは生涯忘れることのできない、幸いなものとなっています。
 イエスさまを信じるってほんとうにすばらしいことです。

家内は北田節男牧師の次女。保母さんをしていました。ですから、子どもが大好きです。三人の子どもの母親です。(子育て真っ最中です。) 
 
   
               
信仰に導いて下さった、グレイビル先生ご夫妻とっても素敵な先生方でした。今は天国におられます。








2002年2月に「命のメッセージ」という本がでました。
死から生へ再起した15人の証言 
編集・川端光生、野口和子、監修ササキ・アイザック・ミツオ
一粒社 1200円

執筆のご依頼があり、わたしもこの本の15人のひとりとして「神さまがどんなにすばらしいことをしてくださったか」

を記させて頂きました。神さまの栄光が顕わされますように。





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