牧師紹介

 
 牧師 野田禎   容子 
    Noda Tadashi&Yoko
 
こんにちは野田禎です。

さて、私がクリスチャンになったのは、19才の時。人は何のた
めに生きるんだろう。人はいつかは死ぬのに。偶然人は生まれ
て、偶然死ぬんだろうか。愛って何だろう。そんなことを考え
ていました。人生が何か空しくて空しくて。偶然死ぬんだった
ら、自分でその偶然を作って・・・・。
そんなことを考えてため息ばかりの毎日。

ちょうどその頃たまたま入った本屋さんで、ちょうど目の高
さにあった本、それが、三浦綾子著 「愛することと信じること」
でした。愛に飢えていたわたしは、躊躇なくその本を買って読み
ました。「このご夫婦はクリスチャンで彼らの信じている神さま
の愛って、僕の持っている愛と違う。
神さまの愛って与えて惜しまない愛なのか。」そんなことを感じ
ました。
駅のプラットホームに立っていたら、教会の看板が目に入りま
した。

そこには
「わたしが道であり、いのちであり、真理なのです。」
                     イエス・キリスト

と書いてありました。そのときまで、自分の殻に閉じこもり人の
愛を受け入れようとしなくなっていた私の堅い殻を、何かその聖
書の言葉は強い光のように突き抜けて私の心の中に入りました。
そして、何とも言えない、暖かさを感じました。
丁度疲れて帰ってきて、温かい柔らかな布団に身を横たえたよう
な安らぎを感じました。

ダメでもともと。
そう思って、教会に生まれて初めて行きました。
教会は20人ぐらいの方がいらっしゃいました。とても温かく
迎えて下さいました。

その教会の 牧師はジョン・グレイビル先生でした。

駅前の書店で聖書を買い求め、むさぼるように聖書を読みまし
た。すると真っ黒だった心の中に聖書の光が入って来ました。皆
さんもご経験があると思いますが、暗い所ではゴミがあっても分
かりませんが、光が入ると、あれ、こんなゴミがと思うようなこ
と。真っ黒だった私の心に光が入ってきたとき、私の心にはいろ
いろな罪があることが分かりました。教会に行き、先生から聖書
の話を聞く内に、私の心の中の罪がさらにはっきりしました。そ
れとともに、私の罪のために十字架にかかってイエスさまが死ん
で下さったことを知りました。

そして、わたしは1978年3月26日の日曜日、丁度イース
    ター礼拝の時にイエスさまを私の救い主と信じ、
罪を赦して頂きました。その時から私の生涯は変わりました。罪
    が赦されて新しくなったのです。

 だれでもキリストの内にあるならその人は新しく造られたもの
     です。古いものは過ぎ去って、
 見よすべてが新しくなりました。
                  (新約聖書Ⅱコリント5:17)

聖書のことば通り私は新しくなりました。そしてイエスさまが私
の心の中に入って下さり心の中から生きる喜びを与えて下さっています。
私がクリスチャンになった2年後、父も母もイエスさまを信じました。 

 私は大学などで学ぶ機会が与えられ、(その間高校の教師や専
門学校でも教鞭を執らせて頂きました。
とっても貴重な体験。そしてすばらしい出会いの時でした。)牧
師になるように神さまに導かれ神学校に行き、現在の私があります。
 人生にはいろいろな出会いがありますね。私にとってイエスさ
まとの出会いは生涯忘れることのできない、
幸いなものとなっています。
 イエスさまを信じるってほんとうにすばらしいことです。




信仰に導いて下さった、グレイビル先生
ご夫妻とっても素敵な先生方でした。
今は天国におられます。







2002年2月に「命のメッセージ」という本がでました。
死から生へ再起した15人の証言 
編集・川端光生、野口和子、監修ササキ・アイザック・ミツオ
一粒社 1200円

執筆のご依頼があり、わたしもこの本の15人のひとりとして
「神さまがどんなにすばらしいことをしてくださったか」

を記させて頂きました。
神さまの栄光が顕わされますように。