『聖書信仰とその諸問題』への応答4(藤本満師)

その1 その2 その3

藤本満先生によるゲスト投稿シリーズ、第4回目です。

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4.「原典において無誤」――無誤に執着?

今回は、『諸問題』への直接の応答ではなく、逐語霊感説やシカゴ声明の「無誤論」への違和感として、一つの問題を提起してみます。

2014年、日本の福音主義神学会で聖書信仰が論じられた同じ年に、米国福音主義神学会でも聖書の「無誤論」をどのように理解すべきか論じられました。主題講演を担った一人、ベン・ウィザリントン(Ben Witherington Ⅲ)はメソジストで、ケンタッキーの福音的なアズベリー神学校で新約学を専門に教鞭を執っています。

彼は講演の中で、福音派で定着した「原典において無誤である」という表現に違和感を覚えると述べています。もともとこの表現は、20世紀の初頭、リベラリズムからの脅威に対抗するために、プリンストンのA. A. ホッジが作り出した表現です。それが、あたかも福音派聖書論の砦であるかのように用いられてきました。

私たちが手にしている聖書は何百という写本の整合性を調べる膨大な研究の上に成り立っている、信頼に満ちた文書です。しかし、聖書の欄外注にあるように、異なる写本で異なる表現がとられている異文や、訳が確定できずに別訳が紹介されていることは多々あります。つまり、教会が手にしてきた聖書が、無誤という厳格なまでの完璧さを帯びたことはありませんでした。

もちろん写本があるということは、さかのぼれば原本があるのは当然でしょう。しかし、初代教父も確認したことがない原典を持ち出してきて、現代の私たちが「原典で無誤」を担保するという論法は、論議を空転させることに他ならないとウィザリントンは記しています(JETS 57/1, 2014, 19-27)。

「私は、今日的な聖書の無誤性のいかなる議論であっても、確かな歴史的事実から始めるべきことをモットーとしている。議論は組織神学的・哲学的前提から始めるべきではない。神学的な土台をもって、1.神の性質、2.神の言葉、3.そしてその神が真実で信頼できる聖書を生み出すためにどのようなプロセスを取らなければならなかったのか、というような議論は聖書成立過程の歴史的現実になじまない。結局のところ、キリスト教のような歴史的宗教は、歴史とその事実が優先されるべきであって、それは聖書の性質と権威という問題にあっても同じである。」(前掲論文、25頁)

モルモン教のジョセフ・スミスは、天使がある日現れ、天から黄金の机の上に経典を落としていったと主張します。だとしたら、それは無誤だと主張しても良いでしょう。しかし、キリスト教の聖書は複雑な成立過程を経てきました。新約聖書は、特にそれが明らかです。そして、神があらゆる手段をもって記者に働きかけ、記者の人間性を用いつつ無誤な言葉を与えたと絶妙な教義を構築したとしても、結局、その神は原典をそのまま保存させることはせず、写本というプロセスに啓示の書をゆだねられました。

教会の歴史で新約聖書27巻に至るために議論は沸騰しました。多々ある文書の中から、新約聖書27巻が確定するのは四世紀です。27つの書物の中には、なかなか正典の枠組みに入れてもらえなかった書物もあります。

ウィザリントンも筆者も、この数世紀の正典成立の過程を悲観的には捉えていません。正典決定において論議を重ねたのは教会ですが、その背後にあって正典を整えさせたのは聖霊であり、聖霊が教会をして正典を確定させた、と考えています。それは正典として認められたから、その書が啓示の権威を帯びるようになったのではなく、そもそも数ある文書の中でこの27巻が啓示の権威を帯びていたから、教会はそれを聖なる書、神の言葉として受け止めたと考えているからです。

しかし、この長期にわたる歴史的な格闘、さらには様々な写本の整合性を見いだす努力を飛び越えて、神学的見地から聖書は神の口が「吹き出した」産物であり(ウォーフィールド)、「原典において誤りはない」(A.A. ホッジ)ということを主張し、それを前提に「無誤論」を説くこと自体に、どれほどの意味があるのでしょうか。しかも17世紀プロテスタント正統主義のように「逐語的に」聖書の言葉は無誤である、完璧に無誤であると論じることは、初代教父以来、文書としての原典をだれも手にしたことのない私たちには、少々の躊躇があってよいのではないでしょうか。

写本があるのですから、原資料、あるいは原典があって当然でしょう。筆者はそれに躊躇を覚えているのではありません。原典を確定するのに難儀してきた私たちが、原典は「逐語的に無誤である」とあっさりと言い切るようなことが、はたして聖書信仰なのでしょうか。そういう聖書信仰の論法に疑問を呈しているのです。

●写本との格闘

「高等批評学」という用語がありますが、またの名は「上層批評学」です。ということは、下層批評学があるわけで、下層とは数ある写本を比較研究し総合し、失われた原典へと近づこうとする、つまり最も信頼できる聖書を編纂しようとする試みです。これが本文批評学です。

本文批評学の複雑な努力の積み上げを、エラスムスからはじめて、少し記してみたいと思います。宗教改革の前夜1514年にバーゼルを訪れたオランダ人エラスムスは、活版印刷に活気づいていたフローベン書店を訪れ、そこでギリシャ語新約聖書を活版印刷で書籍にしようと話がまとまります。となると、当時、イタリアやフランスに集まっていた数ある写本(ラテン語、ギリシャ語、コプト語、シリア語)の中で、どれを底本(写本のもとになる写本)として用いるかを決めなければなりません。

複数を比較して研究する時間は、エラスムスにはありませんでした。そこで彼が底本として用いたのは、福音書については12世紀に作られた一冊のギリシャ語写本、使徒の働きと書簡については、やはり12世紀の別の写本。黙示録は手に入らず、彼はドイツの人文学者ロイヒリンから借りてきます。ところが最後の頁が欠落していて、彼はウルガタ訳のラテン語から自らの手でギリシャ語に翻訳して補い、それをもって完成としました。

エラスムス自身、この『ギリシャ語新約聖書』を自分が編纂したというよりは、なんとか整えたという不十分さを感じていました。しかし、これがなんと16~17世紀の標準ギリシャ語聖書として普及していきます。

本文批評の作業が本格化したのは、1707年オックスフォードのジョン・ミルによる『ギリシャ語新約聖書』でした。彼は百種類にも及ぶ写本の違いを抜き出し、初代教父の文章を丹念に吟味し、彼らがテクストをどのように引用しているかを調べることで、彼らの手元にあったであろう写本の再現を試みました。そうしてミルは自らの研究資料も公にします。彼が当時手にしていた数百に及ぶ写本には、異なる箇所は「3万箇所」に及ぶことが明らかになります。

さて、上記のミルの編纂作業が本文批評の始まりだと言ってもいいでしょう。それ以降、現在に至るまで、写本は、クレジットカードぐらいの小さいものから、ほぼ全巻にわたるものまで、その登録総数は5万7百にもなっています。その分、異なる箇所の数も多くなります。

そのように聞かされると、私たちの受け取り方は二つにわかれます。一つは、写本の信憑性に消極的になり、当時のカトリックのように、だからこそ教会権威が最終となるという主張です。もう一つは、写本の数が多ければ多いほど、これらの違いのどこかにオリジナルのテクストを発見できるという積極的な姿勢です。

幸い、膨大なテータベースのような頭脳を持った人物が次々に現れ、また現代ではコンピュータのデータベースは写本の他に初代教父の文書も取り入れていますので、オリジナルを見極めようとする努力は精度を高めてきました。この膨大な作業は無誤論の世界で積み上げられたことではありません。無誤論と関係なくても、聖書のオリジナルなテクストの確定を目指す学者、また写本の異同を意識しながらも、手にしている聖書が信頼できる真実な神の言葉であると確信して聖書を読み解いてきた学者は、いつの時代にも備えられてきました。

この写本問題を身近に感じていただくために、典型的なケースを二つ挙げてみます。

●マルコの福音書の付加文

私たちが手にしている聖書には、マルコ16:9-20が入っています。しかし新改訳は初版から2017に至るまで、この箇所の問題点を欄外注で短く「異本 9-20節を欠くものがある」等と記しています。実は、この箇所は本来のマルコの福音書の本文には存在していなかったというのが一般的な理解です。つまり、「付加文」なのです。

聖書写本の中で古く、かつ整っているとされる二大写本、シナイ写本とバチカン写本に9-20節はありません。加えて、古ラテン語(Old Latin)写本、シリア語(the Syriac)写本、また百にも及ぶアルメニア語写本、そして最も古い時代のグルジア(ジョージア)語写本においても同様です。

初代教父のアレキサンドリアのクレメンス(150年頃~215年頃)やオリゲネス(182年頃-251年)は、9-20節の存在を知らず、初代教会史家として重んじられているエウセビオス(260年?-339年)や聖書のラテン語訳(ウルガタ訳)の主要訳者であるヒエロニムス(340年頃-420年)もまた、彼らが知っていた写本には9-20節を欠いているものがほとんどであったと証言しています。つまり、新約聖書27巻が正典として成立したような初期の時点では、この箇所は、正典の中に入っていなかったことになります。

加えて、多くの注解書は、9-20節がそれ以前の本文と修辞学的に異なる実情を明らかにし、明らかにマルコの福音書の記者の手によるものではないと結論しています。ゴードン・コンウェル神学校で長く新約聖書を教えたウィリアム・レインによるThe Gospel of Mark (New International Commentary on the New Testament, 1974)でも、また日本では山口昇『新聖書注解』(いのちのことば社)においても、マルコの追加文においては同様の意見が採用されています。

したがって、福音派の注解書であればあるほど、16:9-20の注解は、マルコの本文ではないわけですから極端なまでに簡略化されます。イギリス福音主義の新約学者R.T.フランス(The New International Greek Testament Commentary)は、わずか3頁で終えてしまいます。

ここで問題が生じます。9節以降が付加文であるとしたら、マルコの福音書は「16:8で完結しているのか?」という問いです。8節の終わりの言葉は、「エフォブーント・ガル」(恐ろしかったからである)です。「ガル」で終わる文章は、新約聖書においてこの箇所以外にないという奇妙さだけでなく、7節に告げられた復活のイエスの顕現もないまま、恐ろしかったという女たちの反応で福音書が終わってしまうのでは、未完という印象はぬぐい去れません。

いまだに定評のあるクランフィールドの注解では、4つの選択枝が挙がっています。

 1) 本来あるべき末尾が引きちぎられたりして、失われた。
 2) 著者が病や迫害といった事情で末尾を完成できなかった。
 3) 結論は、意図的に隠されている。
 4) 福音書は実際に8節で完結した。

これらの選択枝の中で、上述の福音派聖書学者レインは、4の立場です。彼はマルコの福音書全体に流れる「驚き・恐れ」のモチーフに注目します(4:41、5:15、33、36、6:50、9:6、32、16:6)。福音書本文には、人がイエスの神的権威に触れたとき、驚きと恐れが生まれたのですから、福音の最後に現された最も神的な現象を前にして、女たちの気が転倒し、恐れ震え上がっている反応で話が閉じられていたとしても、それは福音書に一貫していると言います。

実は、20数年前にいのちのことば社が一巻本の『実用聖書注解』を企画したとき、筆者はマルコの福音書を担当し、そしてレインの結論(そもそも8節で完結している)も妥当ではないかと記しました。しかし、この一巻本の注解書の再版が決まり、修正箇所はないかと出版社から尋ねられたとき、筆者は解説の変更を申し出ました。それは、マルコが復活・弟子の回復という福音の使信を記さずにイエス物語を完結させるという「不自然さ」を払拭できなかったからです。筆者はマルコの福音書が迫害下にあるローマのクリスチャンに宛てて記されたものだと考えています。ですから「恐れ」の先にある、再会・平安・派遣という初代教会の流れで福音書が完結することを期待する方がはるかに自然ではないだろうか。この見解は、4つの選択枝を挙げているクランフィールドも同じです。

●ヨハネ7:53-8:11(姦淫の現行犯で捕まった女)

ここもまた、ヨハネの手によるものではないとするのが常識です。『新改訳聖書』は、これまで「古い写本のほとんど全部が7:53-8:11を欠いている。この部分を含む異本も相互間の相違が大きい」等と欄外の注に記してきました。

その写本事情はB. メッツガーが詳しく『図説 ギリシャ語聖書の写本――ギリシャ語古文書学入門』に記しています。要約しますと、

①シナイ写本、バチカン写本を含めて、初期のギリシャ語の写本はこの箇所を欠いている。アレキサンドリア写本には、その一部しか含まれていない。
②エイレナイオス、テルトゥリアーヌス、キプリアーヌスなどの西方教父たちはこの箇所への言及をしていない。後代、西方で制作された写本には、ルカの福音書21章の後に入れたり、ルカやヨハネの付録として扱われている場合もある。
③東方では、この箇所は古シリア語訳には含まれておらず、その他多くのアルメニア写本にも存在していない。東方教父たちにこの箇所についての言及を見いだすことはできない。
④この箇所のスタイル・語彙ともに、非ヨハネ的であり、また7:52まで、そして8:12からの流れにそぐわない。
⑤しかしながら、伝承そのものはかなり古く、西方教会のある地域では行き巡っていた口伝伝承の一部であり、その後、さまざまな場所でさまざまなヨハネ写本に組み入れられた。

このような場合、新約学者はどのように注解を展開するのでしょうか? たとえばイギリスのウェストコット(1908)が2巻構成で注解書を記したときに、第1巻を7:52で閉め、第2巻を8:12から始め、この箇所を飛ばしています。C.K. バレット(1955)は付録でこの箇所を扱っています。福音派新約学者として名高いオーストラリアのレオン・モリス(The New International Commentary, 1971)も、巻末に付録として注解しています。

他方、最近の注解シリーズで学的な評価を得たInterpretation(1988)/邦訳は『現代聖書注解』やWord Biblical Commentary(1998)は、本文の流れの中で注解しています。前者のスローヤン,後者のビーズリィ-マーレイは、この箇所が前後の仮庵の祭りにおける出来事を断絶させていると解釈するよりも、むしろヨハネ7-8章で取り扱われている「さばき」のテーマに合致していると考え、福音書の構成と流れにそって注解する方が適していると考えます。

注解の仕方は異なっていても、ヨハネ7:53-8:11は、外的証拠(写本)に照らしても内的証拠(本文スタイル)に照らしても、ヨハネの手によるものではないことは明確であることに疑いはないでしょう。初期の写本は、これをルカに挿入させたり、ヨハネの付録とみなしたり、その扱いはさまざまでした。

しかし、やがて教会はこの箇所をヨハネの福音書に組み込み、そこから福音の真髄を語ることに躊躇を覚えませんでした。それは、たとえヨハネの本文ではないにしても、物語そのものの信憑性は確かであり、この物語で描かれている主イエスの姿は、後代の教会が強調してきた戒律的な厳しさよりも、福音書に見られる赦しと愛に富んだイエスと合致しているからでしょう。それがヨハネの福音書の趣旨に添ったものであることも事実です。つまり、もしこの箇所がヨハネ本文からはじき出されたとたら、他の書に組み入れてでも、あるいは独立した物語として別個に扱ってでも、この物語を新約聖書の中に組み入れたいという教会の思いがありました。

では、同じ判断をマルコ16:9-20に与えることができるのでしょうか? 仮にマルコの福音書が16:8で完結しているのなら、9節以降は切り離せばよいでしょう。では、マルコの福音書が16:8で完結しているのではなく、物語が何らかの理由で途絶えてしまっていると考えるのなら、どうなるのでしょうか?

9節以降は、未完の物語を補うために付加されたと考えるべきでしょう。メッツガーは、9-20節は新たに書き足されたものではなく、別の伝承から持ってきて、ここに追加されたものだと考えます。そして付け加えた者の意図は、それによってマルコの福音書を完結させようとしたのではなく、「見えて来ない部分に類似のテクストを置いて、本文を補っているにすぎない」と。つまり、付加文は、断絶感なく、スムーズに話が流れているのではなく、逆に「断絶感を残したままで」、つまり誰が読んでもこれが付加文であることわかるよう、未完成である本文の補完を試みたと考えられる、と。

そうなると筆者は、新約聖書27巻が正典として編纂され、そこに復活の記事を載せている他の3つの福音書が出そろった段階で、9-20節の「補完」の役目はすでに終わっていると考えます。他の福音書が復活のイエスの顕現を詳細に説明し、使徒の働きからその後の弟子たちの様子がわかるのであれば、あえてこの箇所を聖書本文として評価する必要はないように思うのです。マルコ16:15の宣教命令は、マタイ28:18-20に道を譲って良いのではないかと。ですから筆者にとって、9-20節は本文ではなく「付加文」です。

●少し長くなりました。結びとします。

こうした写本の問題を取り上げると、だから「原典において誤りなき」と主張される方がおられるのでしょう。しかし、そうはならない、と思うのです。新約聖書27巻の正典が成立する過程で、またその後の本文批評学が発展する中で、写本同士の違いと格闘しつつも、聖書の信頼性、聖書の真実性、聖書が神の言葉であることを、教会は信じてきました。そのような時、教会は「無誤」に固執することなく、手にしている聖書をもって聖書信仰に立ってきたのではないでしょうか。――もちろん、こうした研究成果の故に、聖書の信頼性を見失ってしまった学者がいることも事実です。

A.A. ホッジの時代、膨大な写本同士に存在する異文、また信頼できる写本に見られる誤りなどを受けて、写本は不完全だが、神の霊感による「原典は無誤」であると、無誤性に固執しました。

しかし、実際のところ、原典が無誤であろうがなかろうが、写本に異文があろうがなかろうが、また現在手にしている聖書本文の数カ所が確定できようができまいが、聖書信仰は一貫して、聖書を神の言葉として全面的に信頼してきました。A.A.ホッジの父、チャールズ・ホッジの言ったように、たとえ大理石の建造物に小石がそこかしこに存在していても、建造物が崩れるわけではない、というスタンスは十分に生きていました。一つでも間違いがあれば、聖書全体が信憑性を失うと考えた人は、少数派だったのではないでしょうか。その少数派の中に、あえて福音派を入れ込む必要があるのでしょうか。

有誤・無誤のレベルではなく、聖書は神の霊感を受けた神の言葉であり、啓示の出来事を証しし、キリストを指し示し、救いを与える神の力であると、聖書の信頼性・真実性に感動してきたのではないでしょうか。福音派の聖書学者たちは、複数の写本が異なるテクストを提示していたとしても、神の使信を伝える聖なる言葉であると信じて、頭をひねりながらも喜びをもって読み解いてきたのではないでしょうか。その言葉がどれほど深く古代の文化に根を下ろしていたとしても、情熱をもって歴史的背景を探り、生きて働く御言葉が現代の私たちに語る真理を紐解いてきたのではないでしょうか。それは原典において無誤であるという教義の故ではなく、聖書全体から、その隅々から響き渡る聖霊の感動の故に。少なくとも筆者はそのように感じてきたのです。

~続く