聖書66巻 要約 リビングバイブルから

モーセの五書

旧約聖書の初めから五冊目までを指す名称で、旧約聖書の中心的部分を占めています。ほかに「法律の書」とも呼ばれます。神様はイスラエル民族を選び、彼らをとおして、全世界に祝福をもたらすことを約束なさいました。具体的には、「法律」を授けて守るように教え、イスラエルが法律に背けば彼らを罰し、神様の国民としての任務を果たせるよう、教育されたのです。以上の経過を、この五書から知ることができます。

創世記

本書は、だれもが一度は思いめぐらす天地創造と人類の初めについて、科学用語を使わず、人が目で見るような、素朴なことばで記されています。 さらに、罪の起源や、その罪によって人々が滅ぶことのないようにと、神様が用意された計画について、説明されています。 また、アブラハムを先祖とするヘブル民族の始まりと、イサク、ヤコブからその息子たちの歴史に及び、エジプトに行ったヨセフの物語で終わっています。

出エジプト記
神様は、すぐれた指導者モーセに、エジプトの奴隷となっているイスラエル人を解放する使命をお与えになりました。 そのモーセをとおして、神様の命令に従おうとしないエジプト王に、神様は十種類の災害をもたらしたのです。 過越の祭りは、最後の災害の時に制定され、その後イスラエルでは、神様が民を解放してくださったことを記念するものとなりました。 人々は紅海を渡り、シナイ山に着き、そこで、神様から十戒や神の天幕の設計図を授かり、神の国民とされました。


レビ記(礼拝規定)
イスラエルには、祭司の働きをするレビ部族がいました。 本書は、彼らのためのハンドブックとして書かれたものです。 ここには、イスラエル人の生活を律する規則、いけにえや礼拝に関する具体的な諸規則などが定められています。 主要ないけにえのささげ方とともに、いけにえの儀式および主な祭りや祝日についても記されています。


民数記(イスラエル放浪記)
本書は、シナイ山からカナンの国境までイスラエルが旅したことと、約束の国に入るための準備について書かれています。 イスラエルの罪と不信仰のために、すぐにはカナンの国を相続できず、四十年間、荒野をさまよう姿が印象的です。 四十年たって、イスラエルはようやく、カナンへの道に引き返しました。 今度こそ、神様の命令に従う用意ができたのです。 ヨルダン川の東側で幾つかの重要な戦いに勝ってから、イスラエルはその約束の地に入ることになりました。

申命記(モーセの最後の説教)

カナン入国を前に、モアブ平原でなされたモーセの一連の演説や、種々の規則、およびモーセの後継者ヨシュアの任命などについて語られています。 モーセは演説の中で、その時までに起こった事件を要約し、人々に信仰と従順の道を歩むよう訓戒し、神様が与えた任務にイスラエルが再献身するよう呼びかけています。 ヨシュアの任命およびモーセの死とともに、古い秩序は終わり、イスラエルの将来は次代の人々の手に移ります。

イスラエルの歴史

舞台はいよいよ約束の国に移り、そこでくり広げられるイスラエル興亡のさまが描かれます。先住民を追い出し、約束の地を各部族に割り当てて定住したイスラエルには、危機の時には適切な指導者が現われ、民族を滅びから救いました。やがて王が立てられ、国として栄えたのち、宗教が混乱し、国政も乱れ、ついにはバビロンに捕囚となり、国家としての形さえ失ってしまいました。バビロンからの解放後、エルサレムに帰ったイスラエルは、城壁造りや神殿建設に力を注ぎました。

ヨシュア記(カナン征服記 上)

モーセの死後、国家の指導権はヨシュアに移りました。 イスラエルがその地を征服する全期間を通じて、ヨシュアは信仰的にもすぐれた総指揮官でした。 モアブ平原でヨシュアに訓練されたイスラエル軍がヨルダン川を渡ると、戦いが始まったのです。 大きな三つの戦争があり、それぞれの戦いに勝ったのち、約束の地はイスラエルの各部族に分割されました。 使命を終えたヨシュアは、人々を訓戒し、平和のうちに死んでいきました。

士師記(カナン征服記 下)
本書は、カナン征服後の数百年間のことを記しています。 その時代に、人々は、士師とか救国者とか呼ばれる指導者に従っていました。指導者たちの主な任務は、軍事的なことで、敵を国から追い出すことでした。 イスラエルの歴史上、この時期は悲劇のくり返しで、神様に反逆すると間もなく外国軍が侵入するという形で、神様のさばきがあったのです。 イスラエルの人々は、そのつど神様に助けを叫び求め、士師が彼らを救うために遣わされました。 本書には、こうしたくり返しが何回も見られます。 残念なことに人々は、神様に反逆することが明らかに災いへの道だということを、なかなか悟りませんでした。

ルツ記

本書は、混乱した士師時代のもう一つの面を描いています。 イスラエルの罪のために起こった血なまぐさい戦いを離れて、ほっとひと息つける書です。 ルツというのは、不運な義母ナオミに、どこまでもついてゆく決心をした婦人の名前です。 神様は、彼女に夫ボアズと子供を与え、ナオミには孫を与えるという形で、二人をしあわせにしました。 この家族から、やがてダビデ王が出るのです。

サムエル記 Ⅰ(王国成立記 上)

本書は、好戦的な隣国ペリシテによってイスラエルが圧迫されることで始まり、初期の二人の指導者、サムエルとサウルについて記されています。 サムエルは宗教的指導者であり、サウルは最後には王となりました。 サウルは初めは勝利を収めますが、のちには道徳的堕落のために悲劇的な最期を遂げます。 そして、サウルの堕落をかき消すかのように、彼の後継者となる青年ダビデが登場します。

サムエル記Ⅱ(王国成立記 下)

本書は、大部分が、およそ四十年にわたるダビデの統治について記されています。 ダビデ王の即位に始まり、王位を主張する他の人々に対して確固とした地位を築いていくさまや、エルサレムに首都を移し、契約の箱を運び込み、ついにはペリシテ人を打ち破ることなどが、主な内容です。 息子アブシャロムにまつわる家族の問題や、バテ・シェバとの姦淫という個人的な問題を含めて、ダビデの生涯の暗い面についても、くわしく描かれています。

Ⅰ列王記(王国衰亡記 上)
本書は、ダビデの死で始まり、神殿建設を含むソロモンの治世を描いています。 さらに、国が北王国イスラエルと南王国ユダに分裂したことに触れ、エリヤとイスラエル王アハブとの華々しい闘いで終わっています。 エリヤとアハブの争いは、神様が人間生活に直接介入し、人間に関心をはらっておられることを教えるとともに、社会悪が国民の霊的生活に悲惨な結果をまねくことを物語っています。



Ⅱ列王 (王国衰亡記 下)

本書は、二つの国家的悲劇を含む、およそ二百五十年間にわたる出来事を記しています。 紀元前722年に、北王国イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、587年に南王国ユダがバビロンに滅ぼされました。本書は、諸王の統治を、霊的意義に注目しながら記述しています。善王と悪王、戦争と平和、繁栄と衰退のいずれの時代でも、神様は変わらずに生きて働き、預言者を遣わし、ご自分の考えを伝え、さばきが来ることを警告しておられます。

歴代誌Ⅰ(イスラエル年代記上)

本書は、祭司の視点から書かれていて、預言者の視点で書かれた列王記を補っています。 ダビデ王家の歴史と、祭司を務めるレビの子孫を記録した一連の系図で始まり、国家の宗教的事情に特別な関心をはらいつつ、サウルの死とダビデの統治に言及し、ソロモンが王になったところで終わっています。

歴代誌Ⅱ(イスラエル年代記 下)

本書は、ユダの歴史と繁栄したソロモンの統治、および神殿の栄光に、特別の強調点を置いています。 この強調は、本書全体が祭司の視点から書かれているためです。 また、ユダの王たちとその時代の宗教事情がどうなっていたかが描かれています。 ヒゼキヤ王は、祈りによって統治期間が延長されたことで、特記されています。 エルサレムの滅亡やバビロン捕囚にも言及し、ペルシヤ王が人々の帰国を許可する布告を出したところで終わっています。
エズラ記

本書は、イスラエル人がバビロンでの捕囚を終えて、パレスチナの地に帰ることを、主な内容とします。 著者は、第一次帰還と神殿工事がどのように始められたかを述べたあと、起こってきた問題について述べています。 非常に多くの困難や初期の失敗を乗り越えて、ついに神殿は復興され、栄光ある神様に再びささげられたのです。 エズラの主な働きとして、捕囚から帰って自分勝手に生きている人々のために、神様にとりなしの祈りをすることが記されています。

ネヘミヤ記
本書は、エズラ記の内容を受け継いで、再建された社会の生活に言及しています。 エズラ記の中心点は神殿の再建であり、ネヘミヤ記の中心点はエルサレム城壁の再建です。 エルサレムには人々を保護するために城壁が必要なことを述べ、次に、内外に起こった数々の問題にもかかわらず、城壁がどのように修復されたかを記しています。

エステル記
本書は、ペルシヤ人がバビロンを滅ぼしたのちも、多くのユダヤ人が捕囚の地に残っていたころに起こった、重大事件について記されています。 物語は、ペルシヤ王アハシュエロスの王妃になった、エステルという一ユダヤ人にまつわるものです。 王の相談役ハマンは、ユダヤ人の財産管理権を獲得するためユダヤ人虐殺を企てますが、エステルが介入し、自国民の破滅を防ぎました。 ハマンが処刑され、小さな市民戦ののち、再び平和が訪れます。 この記念すべきユダヤ人の救出は、プリムの祭りとして祝われ、今日まで続いています。

ヨブ 
ヨブ記からソロモンの愛の歌までをまとめて、文学書、あるいは知恵文学と呼んでいます。預言書はイスラエル民族の没落期に属しますが、文学書のほとんどは、イスラエルの歴史の黄金時代(紀元前千年ごろ)に属しています。特に詩篇は、賛美と告白の文学であり、根底には信仰と服従のテーマが流れ、神様の前にあるイスラエルの心が、つぶさに記されています。イスラエル独特の知恵は、神様から出ており、生きて働かれる神様をまず信じ、たいせつにすることによって与えられるものだ、と説かれています。

(ヨブ記)
本書は、人間がもつ最も深遠な問題に触れています。 もし、罪や苦しみに対して何らかの力を発揮できる神様が存在するなら、どうして、まだ罪や苦しみがこの世にあるのか、という問題です。 本書の初めは、苦しんでいるヨブが三人の友だちと討論するところです。 エリファズ、ビルダデ、ツォファルはそれぞれ、ヨブの不幸を異なった方法で説明しようとします。 四番目の人物エリフは、状況の要約をし、かつ、ヨブがなぜ苦しみを受けているかについて、別の解釈をします。 最後に、神様ご自身がヨブに語りかけ、ヨブは人生の諸問題の解答を得ることより、むしろ神様ご自身を必要とすることを悟ります。 こうしてヨブは、以前にもましてすばらしい境遇に戻されたのです。


詩篇
人間のどんな感情も、神様の前にさらけ出すことができ、神様はそのことを祝福なさいます。 本書には、悲しみと喜び、怒りと平安、疑いと信仰、悔い改めと賛美などがあります。 また過去の回想、現在生きていることの苦しみ、輝かしい未来の幻もあります。 多くの個所で、神様から遣わされる救い主イエス・キリストの受難や栄光の姿が記されています。

箴言(知恵の泉)
箴言は、充実した人生を送るための実際的教訓集です。 人々を悔い改めに導く働きをする預言者の教えや、人々の礼拝を導く祭司たちの教えを補うものとして、神様から与えられたものです。 箴言には、神様の知恵とともに、もともと人間に備わっている知恵や常識などもあり、それぞれ、日常生活に役立つものです。 何世紀にもわたる実際的格言も集められていて、子供の訓育、社会正義、むだ話、行儀作法などについて、種々論じられます。 そして、すぐれた妻について意義深く描かれた記事で、終わっています。

伝道の書(ソロモンの人生論)
この難解な書物は、神様から離れて平安を見つけようとした人が、そこには空しさしかないことを悟った、光のない人生論を記しています。人生の疑問に対する唯一の解答を、本書は結論としています。 すなわち、「神様を敬い、その命令に従いなさい。 これこそ人間の本分だからです」(一二・一三)が、それです。 この積極的な考えが導き出されるためには、幾つかの描写があり、それぞれは、神なしの生活がいかに不毛かを語っています。 財産、知恵、名声、快楽など、すべては空しく、人がこの世にではなく、神様に心を向ける時にだけ、真の幸福を見いだせます。


雅歌(愛の歌)

ソロモンとシュラムの婦人との愛を歌う本書は、叙情詩や歌でつづられていて、「歌の中の歌」と言われています。 内容は単純ですが、感動的で、恋人同士がお互いに求め合う姿や、克服しなければならない葛藤、愛によって呼び覚まされるやさしい感情から、恋人同士がいっしょにいる喜びなどが描かれています。 ソロモンや彼の恋人とともに登場するエルサレムの娘たちは、彼女たちの観察を加えることにより、物語を劇的なものにしています。

イスラエルの預言者

預言者は、単に将来のことを告げるのではなく、特別に神様から使命を受けて、神様の考えを人々に代弁しました。彼らのことばだけでなく、行ないも生活も、すべてが預言でした。盛んに活躍した時期は、北王国が偶像礼拝に染まり、南王国も偶像礼拝に明け暮れて、神様の名が人々の心から消えかかっていた、紀元前八百年から四百年ころです。預言者は、政治の腐敗や道徳的な堕落を責めることより、むしろ、その原因となっている偶像礼拝をきびしく責め、まことの神礼拝に立ち返るよう力説しました。

イザヤ書(イザヤの預言)

イザヤの働きは約六十年間で、改革者ヒゼキヤを含む四代の王にわたりました。 彼は、主としてユダに遣わされた預言者でしたが、北王国イスラエルに対しても語りました。 彼はまた、イスラエルとユダの、内乱の恐ろしい時代に生き、紀元前七二二年のアッシリヤによる北王国滅亡を、目のあたりにしました。 その滅亡から得た身の引きしまる教訓を忘れず、ヒゼキヤに、エジプトとの軍事同盟をやめて、神様だけに頼るよう絶えず勧めました。 神様は伝染病を送って、強力なアッシリヤ軍からユダを救いました。 また、イザヤは自分の時代を超えて、将来、ユダが奴隷になることや、神様が用意なさる解放についても預言しています。



エレミヤ書(エレミヤの預言)


エレミヤは、ユダ滅亡前の四十年間に活躍しました。 彼は、「新しい出発のために、神様のさばきを受けよ」と力説したのです。 エレミヤは、バビロン軍の侵入、敵による自国民の国外追放、エルサレム住民の殺害、神殿の破壊など、つらい経験を重ねました。 彼はこれらの出来事について人々に警告し、罪から離れて神様に立ち返るよう、涙を流して勧めましたが、むだでした。 ただ、あざけられ、迫害されるばかりでした。

哀歌(悲しみの歌)
本書は、都エルサレムの陥落を悲しんで作られた歌です。 破滅を目撃した著者は、一語一語に、絶望した心の響きを伝え、また、その破滅がいかに恐怖に満ちたものかを語っています。 それは、神様に反逆した報いとして、どれほど恐ろしい代価を支払わなければならないかを、人々に知らせるためでした。 しかしその中にも、わずかながら慰めを与える個所もあります。 五章のエレミヤの祈りは、かつて栄えた都エルサレムの廃墟のかなたに、永遠に王座をすえる神様を仰ぎ見ています。


エゼキエル書(エゼキエルの預言)

祭司エゼキエルは、紀元前597年に、捕囚としてバビロンに連れて行かれ、そこで神の預言者となりました。 彼は、エルサレムに残っている人々に、必ずさばきが下ると説きましたが、周囲のユダヤ人は快く聞き入れませんでした。 しかし、彼の予告どおり、五八七年にエルサレムが崩壊してから、人々ははじめて彼のことばに熱心に耳を傾けるようになるのです。 エゼキエルの預言は、この時を境に、暗いさばきの内容から、将来に対する慰めと希望に変わります。 最悪の事態はすでに過ぎ、今は再出発の用意の時だからです。

ダニエル書(ダニエルの預言)

ダニエルは、少年のころ、バビロンに捕らえ移され、捕囚の身でありながら、そこで教育を受け、バビロン政府や、のちにはペルシヤ政府の高官になりました。 神様を信じていたために、ライオンの穴に投げ込まれるような残忍な迫害を受け、同胞の友だち三人も炉に投げ込まれたりしました。 しかし、神様の力によって生き残ったのです。 本書は、ダニエル時代の歴史上の事件に言及し、将来についての預言なども含んでいます。 ダニエルは、来たるべき大世界帝国をはじめ、神様の力や、メシヤであるイエス・キリストの幻を見ます。 やがて、メシヤが来てこの世の悪を滅ぼし、究極的には、永遠に過ぎ去らない正義の王国を確立するのです。

ホセア書(ホセアの預言)

本書は、ふぞろいな二つの部分からなっています。 すなわちホセアの生涯(1章~3章)とホセアの説教(4章~14章)です。 ホセアは、紀元前722年の滅亡に先立って、北王国イスラエルに遣わされた預言者で、働きはおよそ40年間に及びました。 彼はアモス、イザヤ、ミカと同時代の人でした。 ホセアの不幸な家庭生活は、北王国の状態を象徴的に表わしています。 彼の妻が、売春のために家出したように、イスラエルは偽りの神々を求めて神様から離れ、その結果、国中にみだらな生活が広がりました。 しかし、ホセアが妻を愛し続け、ついには、もう一度連れ戻したように、神様はイスラエルを愛し通し、やがては国を再建し、恵みを与えることを約束しました。


ヨエル書(ヨエルの預言)

本書は、神様がやがてエルサレムをさばかれることを表わすのに、いなごの災害を象徴的に取り扱っています。 当時、いなごによって国土が食い尽くされたように、もし国民が罪を悔い改めないなら、敵軍によって滅ぼされると警告しています。 しかし、人々が心から神様に立ち返るなら、国は栄え、神様は再び祝福してくださいます。 近い将来でなく、やがて神様がすべての人に聖霊を注がれる時にこそ、神様のいつくしみが表わされるのです。

アモス書(アモスの預言)

アモスは、ホセア、イザヤ、ミカと同時代の人で、ホセアと同じく南王国の出身でした。 しかし彼は、北王国イスラエルに対して語りました。 彼は、まず周辺諸国へのさばきを宣べ、次に、イスラエルだけに集中して宣告します。 さらに、イスラエルの罪を痛烈に非難する個所が続き、特に、当時の社会的罪、すなわち不正、役人の腐敗、貪欲、偽りの礼拝などを指摘します。 きびしい調子の警告のあとに、一連の幻が述べられ、イスラエルがやがては耳を傾けるという、かすかな望みを記して終わります。

オバデヤ書(オバデヤの預言)
本書はエドム滅亡の預言です。 この国は紀元前五八七年、バビロンがエルサレムを攻めた時、援軍を出さないばかりか、むしろ敵方に味方し、傷ついた都の略奪に加わったのです。 エドム人はエサウの子孫であり、イスラエル人はヤコブの子孫です。 ヤコブとエサウは兄弟でした。 エドムが罰せられるのは、兄弟イスラエルに対する暴虐行為のためです。 エドムは、裏切りと高慢のために神様にさばかれたのです。

ヨナ書(ヨナの預言)

ヨナはイスラエルの預言者で、まもなく(紀元前七二二年)イスラエルを滅ぼそうとしていた敵国アッシリヤ(首都ニネベ)に、悔い改めの説教をするように、神様から示されました。 しかし、ヨナの愛国心が異教徒に救いをもたらすことを許さず、彼は船で神様から逃げようとします。 その途中、海に投げ込まれ、大魚にのみ込まれますが、やがて海岸に吐き出され、ついには神様の命令に従い、ニネベ宣教に出かけたのです。 しかし、人々が悔い改めたのを見て憤ったヨナに、神様は一本の木をとおして、実物教育をすることになります。

ミカ書(ミカの預言)

ミカはイザヤと同時代の人で、紀元前八世紀にイスラエルとユダの両国に宣教しました。 彼は、エルサレムの南の小さな町モレシェテに住んでいましたが、首都であるエルサレムとサマリヤに向けて預言しました。 彼らの圧制、高慢、貪欲、腐敗、偽りの信心、傲慢などを手きびしく非難したのです。 国の指導的立場にある首都は、罪ではなく、正義の手本となるべきで、正義である神様は、それらの町の行為をさばかれる、と説いています。

ナホム書(ナホムの預言)

本書は、アッシリヤの首都ニネベ滅亡の預言です。 アッシリヤ人は紀元前七二二年にイスラエルを滅ぼしましたが、六一二年には、その高慢と残忍さのゆえに、自らが滅ぼされることになりました。 ナホムは、当時、地上の女王のように振る舞ったニネベに宣教し、滅亡の原因を生々しく語っています。 その原因とは、偶像礼拝、残忍性、殺人、偽り、裏切り、迷信、不正などです。 そこは血でいっぱいの町(三・一)で、そんな町が永続するはずはないのです。

ハバクク書(ハバククの預言)

ハバククは、紀元前五八七年にエルサレムが滅亡する直前の、ユダの最後の時代に活躍しました。 彼は降りかかる行く末を思って、二つのことに悩みました。 すなわち、なぜ神様はユダの国を敵の手に渡すのか、また、なぜユダをその罪のために罰しながら、バビロンのような罪深い国の存在を許すのか、でした。 神様はハバククの疑問に答えて、幻の中でご自身をお示しになりました。 神様の存在についての新しい洞察から、ハバククは自分の不十分さを知り、その暗き時代に、何ものにも動かされない力をもって生き抜く勇気を与えられたのです。

ゼパニヤ書(ゼパニヤの預言)

ゼパニヤは、ユダが紀元前五八七年に滅ぼされる前の数十年間に活躍した預言者です。 ゼパニヤが宣教した時、ヨシヤ王はゼパニヤの預言で奮起し、六二一年には徹底的な改革を始めました。 しかし、これらの改革はあまりにも現実性に乏しく、遅きにすぎたのです。 人々はすぐ悪の道に逆戻りし、都はバビロン軍の侵入で滅びました。 ゼパニヤの警告はきびしい調子のもので、神様の公正なさばきに基づいていました。 ユダばかりか、ほかの周辺諸国も、自分たちの罪に対する神様のさばきを感じることになります。

ハガイ書(ハガイの預言)

ハガイはゼカリヤと同時代の人で、捕囚から帰って来た人々に対して神様から遣わされ、彼らを励まして神殿再建計画を完了させました。 彼は特に、指導者である総督ゼルバベルと祭司ヨシュアの二人に語りました。 本書には、その工事の進行を早めるための、五つの預言的説教があります。 説教はすばらしい結果をもたらし、神殿は紀元前五一六年に再び奉献されました。

ゼカリヤ書(ゼカリヤの預言)

ゼカリヤはハガイと同時代に活躍した預言者で、捕囚から帰った人々に対して遣わされました。 彼は、恐れず神様に仕えるよう、人々を励ましました。 本書は一連の八つの幻で始まります。 非常に絵画的な描写のうちに、神様の威力、種々の出来事を神様が支配されること、霊的な力の重要性、罪に対する神様のさばき、壮大な将来についての約束などが語られています。 次に、特定の時期を指さない預言が続き、一般的な励ましと来たるべきさばきのことが記されます。 本書の最も重要な部分は、キリストの到来に関する預言です。


マラキ書(マラキの預言)
マラキは、捕囚から帰った人々のために遣わされた預言者で、彼らの霊的熱心が冷えきった時代に活躍しました。 ネヘミヤとエズラが、礼拝儀式や政治上必要な改革を手がけたのに対し、マラキは、人々に霊的問題を真剣に考えるよう教えました。 マラキが論じた根本的な問題は、祭司の堕落、神殿が軽視されること、家庭における個人的な罪などでした。 本書は、来たるべきメシヤとその先ぶれのバプテスマのヨハネ(ここではエリヤと言われる)についての預言で終わっています。こうして旧約聖書は、神様が新約聖書でなされることを待望しつつ終わるのです。



キリストの生涯

聖書の中心はイエス・キリストです。では、いったいキリストとはどういうお方で、何をなさり、どんなことをお語りになったのでしょうか。ここには、キリストと行動を共にし、その教えを受け、さまざまな出来事を見聞きした人々の証言を、それぞれ違った観点からまとめた、四つの記録が収められています。四人の著者は、キリストの直弟子もいれば、そうでない者もおり、社会的地位も、取税人、青年、医者、漁師と、全く異なります。この四人の目をとおして、キリストの姿が生き生きと描かれています。

マタイの福音書(取税人マタイの記録)

マタイは、税金を取り立てる役人でした。 当時、彼らの中には、不正に多く取り立てて、自分のものにする者がいたので、人々にきらわれ、軽べつされる職業でした。 しかし、イエスは、あえてそのような人を弟子になさったのです。 イエスに出会ったマタイの生活は一変しました。 いっさいを捨てて彼にお従いしたのです。 そしてこのイエスこそ、以前から神の預言者によって、この世に現われると言われ続けてきた救い主であることを、人々に伝える者となったのです。

マルコの福音書(青年マルコの記録)

すべての人に気を配り、いたわり、愛し続けるイエス。 どんな時でも、苦しみ、悲しみ、助けを必要としている人々に仕え続けられるイエス。 そして、最後には、全人類の救いのために、ご自分のいのちまでも投げ出されたイエス。 本書は、そういうイエスの姿を見、行動を共にした使徒ペテロの語る思い出話の数々を、イエスが逮捕される時、逃げた青年(マルコ一四・五一、五二)と思われているマルコが記録したものです。

ルカの福音書(医者ルカの記録)

快復の見込みのない病気で絶望している人。 社会的地位も低く、人からいやしめられ、軽べつされている人。 人々に訴える力も、権力もない弱い女たち。 社会の片隅に追いやられ、存在すらも認められない、そのような人たちの心を、イエスは大切になさいました。 そして、つらい思いでいる人々の気持ちを理解し、やさしい励ましと、慰めのことばを一人一人にかけていかれたのです。 そういうキリストの姿が、医者ルカの目を通して生き生きと描かれています。


ヨハネの福音書(漁師ヨハネの記録)

ヨハネは漁師でした。 キリストを信じてから約三年の間、イエスに身近に接し、彼が普通の人と全く違うことを見いだしたのです。 それは、今まで出会った人には見られなかった権威あることばや、人々から恐れられ、敬われている学者や指導者に、はっきりとその間違いを正す態度、そして、神様に祈り求めてなされる数々の奇蹟等によってでした。 ヨハネは知ったのです。 イエスこそ、ご自分で言われるとおり、神のひとり子であり、この世の救い主であることを。



キリスト教会の誕生

教会はまず、エルサレムで誕生しました。そして、パレスチナから、小アジヤ、ギリシヤへと、次々に伝道活動を推し進め、ついに、当時の世界の中心ローマにも、その輪は広がっていったのです。人々の激しい反対や迫害にもめげず、弟子たちは力強く、大胆にキリストの教えを伝えました。こうして、世界各地にキリスト教が広まり、教会がつくられる有様が、教会の中心的指導者であったペテロとパウロの活動や体験を軸に、種々の事件をまじえながら展開していきます。

使徒の働き(弟子たちの伝道記録)

自分たちの師であったイエス・キリストが捕らえられ、十字架上で殺されたのを知った弟子たちは、ユダヤ人を恐れ、一個所に閉じこもっていました。 けれども、その彼らの目前に、復活したイエスが立った時、不安と恐れが消え、イエスこそ人類の救い主であることを、力強く人々に知らせる者と変わったのです。 本書は、一地域から、そして、ほんの小さな人々の集まりから出発したキリスト教会の誕生と発展、および、キリストの弟子たちの働きの記録です。



クリスチャンへの手紙

教会の数が増えていくと、重要な人物がいつも同じ教会にとどまり、直接指導にあたることはできなくなります。広く伝道旅行に出かけ、各地に教会つくったパウロの場合は、特にそうでした。そこで、まだまだ未熟なクリスチャンを教え導き、教会内で持ち上がったやっかいな問題を解決するために、多くの手紙を書いたのです。どの手紙も、それぞれ大切な事柄を扱っています。こうしたパウロの手紙に、ペテロをはじめ、ほかの数人の指導者のものを加えてまとめたのが、この手紙集です。

ローマ人への手紙(ローマ教会の皆さんへ)

著者パウロは、この手紙でローマ教会の信者に自分を紹介するとともに、彼の神学を解説しています。 そういうわけで、この手紙は、パウロの手紙のうちで最も組織立ったものと言えるでしょう。 まず、人間はだれもが罪人であることを語り、外国人もユダヤ人も、律法を守ることでは神様を喜ばせることはできないこと、および、私たちが罪人であっても、あわれみ深い神様は自ら近づいてくださり、神様に立ち返る道を備えてくださったことを、教えています。

キリスト教会の誕生

教会はまず、エルサレムで誕生しました。そして、パレスチナから、小アジヤ、ギリシヤへと、次々に伝道活動を推し進め、ついに、当時の世界の中心ローマにも、その輪は広がっていったのです。人々の激しい反対や迫害にもめげず、弟子たちは力強く、大胆にキリストの教えを伝えました。こうして、世界各地にキリスト教が広まり、教会がつくられる有様が、教会の中心的指導者であったペテロとパウロの活動や体験を軸に、種々の事件をまじえながら展開していきます。

使徒の働き(弟子たちの伝道記録)

自分たちの師であったイエス・キリストが捕らえられ、十字架上で殺されたのを知った弟子たちは、ユダヤ人を恐れ、一個所に閉じこもっていました。 けれども、その彼らの目前に、復活したイエスが立った時、不安と恐れが消え、イエスこそ人類の救い主であることを、力強く人々に知らせる者と変わったのです。 本書は、一地域から、そして、ほんの小さな人々の集まりから出発したキリスト教会の誕生と発展、および、キリストの弟子たちの働きの記録です。


コリント人への手紙 Ⅰ(コリント教会の皆さんへ Ⅰ)

ほんとうの愛! その愛について、著者パウロはことばを尽くして語ります。 当時、コリントの教会には、いろいろな問題が持ち上がっていました。 その原因は、「自分さえよければ、人はどうでもいい。自分のしたいことをして何が悪い。 それが自由というものだ」といった態度にあることを、パウロは鋭い目で見抜いていました。 そして、時には厳しいとも思える口調で忠告し、お互いに心から愛し合い、欠点を補い合い、問題を解決するよう勧めています。


コリント人への手紙 Ⅱ(コリント教会の皆さんへ Ⅱ)

キリストの教えを伝えるのは、決して楽なことではありません。 むしろ苦しいことのほうが多いでしょう。 著者パウロの場合も、まさに苦難の連続でした。 先の手紙で、コリント教会の問題が完全に解決したわけではありませんでした。 特に、パウロが使徒かどうかが引き続き問題になっていました。 この手紙でパウロは、自分が使徒であることをくり返し主張しています。 そのほか、いつも貧しい者を助けるように、というような実際問題も、述べられています。

ガラテヤ人への手紙(ガラテヤ教会の皆さんへ)

「……らしく」ということばがあります。 その場合、心の内側より、外面を整えようとしがちではないでしょうか。 それは、そのほうが容易だからです。 著者パウロが生きていた二千年前もやはり同じでした。 ガラテヤのクリスチャンにとって、これは大きな問題でした。彼らは規則を守り、評判のよい生活をする人が正しい人間だと、思い違いをしていたのです。 著者は自分の経験から、人は心が変われば、自然に正しい行ないができることに気づいていたのです。


エペソ人への手紙(エペソ教会の皆さんへ)

私たちの心には、自分と違った人々をなかなか受け入れないものがあるようです。 差別(家柄、学歴、職業、社会的地位、貧富の差等による)は、古くて新しい問題です。 人よりも、少しでも自分が優れていると思いたい心が、差別をつくりあげるのでしょうか。 パウロは獄中から、各地の教会に手紙を送りました。 その一通がこの手紙です。 初めのころの教会には、まだユダヤ人と、それ以外の外国人との間に意見の対立があり、なかなかしっくりいきませんでした。



ピリピ人への手紙(ピリピ教会の皆さんへ)

ピリピは、今のギリシヤの北部にあり、ローマの植民都市として栄えた町でした。 ここはまた、パウロにとっても思い出深い町で、彼がヨーロッパに最初の教会をつくったのもこの町でした。 それも、捕らえられ、むちで打たれながらつくったのです。 それにこたえて、ピリピ教会のクリスチャンも、パウロのために献身的に尽くし、彼の経済的必要を満たしたこともしばしばでした。 その教会に、パウロは、キリストを信じる者の喜びを、真実こめて語ります。

コロサイ人への手紙(コロサイ教会の皆さんへ)

この手紙は、エペソ教会への手紙と同じ時に書かれました。 コロサイは、今のトルコにあたる地方にあった町です。 その教会に、キリストは神であるという真理をあいまいにする教えが、はびこったのです。 そこで、この事態をどう解決したらよいか、パウロに問い合わせることになり、エパフラスが代表に選ばれました。 彼の報告を聞いたパウロが、その教えのどこがまちがっているかをはっきり指摘し、キリストは確かに神であることを書き送ったのがこの手紙です。

テサロニケ人への手紙Ⅰ(テサロニケ教会の皆さんへⅠ)

テサロニケは、今なおサロニカという名で繁栄している町で、紀元一世紀には、マケドニヤ地方の主要な町の一つでした。 パウロはこの町でも、キリストの教えを伝えましたが、彼に反対するユダヤ人が暴動を起こし、彼を町から追い出してしまったのです。 しかし、キリストを信じたギリシヤ人も大ぜいいました。 ユダヤ人の迫害に会いながら、信仰を守り続けるこれらの人たちに、パウロは、きよく正しい生活をして、キリストの再来を待つよう励まします。

テサロニケ人への手紙Ⅱ(テサロニケ教会の皆さんへⅡ)

パウロは、最初の手紙のあと、すぐにこの手紙を書きました。 前回と同様、キリストがもう一度来られることが、その主題です。 テサロニケの教会では、このことが大きな問題だったからです。 それというのも、キリストはもう来てしまったと言いふらして、人々をあわてさせる者がいたからです。 中には、それをいいことに、仕事もせず、毎日ぶらぶらするだけの者もいました。 そうしたデマにのせられたり、怠惰に流れることを、パウロはきつく戒めています。

テモテへの手紙 Ⅰ

パウロが、息子のようにかわいがっていたテモテに送った手紙です。テモテは、パウロの勧めでキリストを信じ、以後行動を共にし、献身的に協力した青年です。 パウロも、手足となって働く彼を信頼し、やがてエペソの教会の指導を一手に任せるようになりました。 しかし、年若くして責任ある立場におかれたテモテには、それなりの苦労もありました。 そうしたことを思いやり、パウロは、父親のようなやさしさで、指導者としてのあり方を教えています。

テモテへの手紙 Ⅱ

囚われの身であり、処刑を間近にひかえたパウロが、最愛の弟子テモテに送った遺書とも言える手紙です。 自分は犯罪人という最もみじめな境遇におかれ、しかも、エペソの教会では、大ぜいの信者が造反運動を起こすという悲しい出来事に直面して、パウロはテモテに、どんなにつらい時も、正しい教えを伝えることだけは忘れないように、と訴えます。 そして、自分の一生は、まさにそうした戦いの連続であり、それを勇敢に戦い抜いたことを語ります。

テトスへの手紙

クレテ島にある教会を指導していた、テトスあてのパウロの手紙です。テトスは有能な青年で、パウロもその力を高く評価し、たいせつな役目につかせたことも何度かありました。 この手紙で取り上げているクレテ島も、道徳水準が低く、なかなか大変なところでした。 このような教会には、特にしっかりした指導者が必要です。 どのような人を選んだらよいか、また、教会の責任者として、人々をどのように教え、訓練したらよいか、適切な助言がなされています。

ピレモンへの手紙

ピレモンは、パウロの指導を受けてキリストを信じた、信望のあついクリスチャンでした。 裕福な人で、彼の家がコロサイの信者たちの集会場になっていました。 この人のところから逃げ出したオネシモという奴隷が、ローマで監禁中のパウロと出会い、クリスチャンになったのです。 一度は主人を裏切ったものの、今では同じ信仰にはいったオネシモを、ピレモンのもとに帰そうと決心したパウロは、快く迎えてやってほしいという執りなしの手紙を持たせます。

ヘブル人への手紙

ヘブル人とはユダヤ人のことです。 ユダヤ人は神殿をとても重要なものと考えていました。 ですから、そこではいつも、いろいろな宗教儀式が行なわれ、事あるごとに動物の犠牲がささげられていました。たとい、クリスチャンになっても、神殿での儀式を熱心に守る習慣は変わりませんでした。 このようなユダヤ人に、ほんとうにたいせつなのは、儀式を守ることではなく、身代わりとなって死んでくださったキリストを信じることだと、この手紙は教えています。

ヤコブの手紙(ヤコブからの手紙)

この手紙が書かれた当時、大ぜいのユダヤ人が世界各地に散らばっていました。 その中のクリスチャンにあてて、ヤコブはこの手紙を送ったのです。 彼はエルサレム教会の指導者で、人々から尊敬されるりっぱな人物でした。 信仰の面でも行ないの面でも、すばらしい模範を示していた彼が、正しい生活をすることがどんなにたいせつか、キリストを信じていると言いながら、行ないが伴わなければいかに無意味であるかを、例をあげて具体的に説明しています。

ペテロの手紙 Ⅰ(ペテロからの手紙 Ⅰ)

現在のトルコにあたる地方に点在していた教会に、ペテロが出した手紙です。 キリストが選んだ十二人の弟子たちの中で、ペテロは中心的存在でした。 のちに、各地に教会ができ、大ぜいの人がキリストを信じるようになってからも、彼はやはり第一人者として、すべての教会とクリスチャンを指導しました。 その彼が、いよいよ激しく燃え上がる迫害の火の手の中で、そういう時にこそ神様を信じ、希望をもって戦い抜くように、励ましのことばをかけています。

ペテロの手紙 Ⅱ(ペテロからの手紙 Ⅱ)

自分の信条を、最後まで守り続けるのは容易なことではありません。そのために、つらい思いや苦しい思いをし、損をすることもあるからです。 かつてイエスに「たとい、みんながあなた様を見捨てようと、私だけは、この私だけは絶対に、見捨てなどいたしません」と言いはったペテロも、いざという時はだめでした。 そのペテロが、生涯を閉じるにあたって、迫害を受けて苦しんでいるクリスチャンを勇気づける人となりました。 そして最後には殉教したのです。

ヨハネの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(ヨハネからの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)

漁師あがりのヨハネは、兄弟ヤコブと共に、キリストから「雷の子」とあだ名されるほど、激しい気性の持ち主でした。 ところが、キリストはこのヨハネに、弟子たちの中でも特に目をかけたのです。 こうして、キリストの愛を知ったヨハネは、晩年には「愛の人」と呼ばれるほどの人物になりました。 彼の口から出ることばは、いつも決まって、「愛し合いなさい」でした。 この手紙でも、神様の愛を知ること、互いに愛し合うことのすばらしさが語られています。


ユダの手紙(ユダからの手紙)

いろいろな人がキリストを信じるようになり、キリスト教がしだいに広まると、残念なことに、まちがった教えも語られるようになりました。 そのために、正しい信仰を捨てる人や、何を信じたらいいのかさえ、わからなくなる人も出るしまつです。 こうした状態を憂えて、ユダはこの手紙を書いたのです。 人々を指導する立場にありながら、かえって、人々の心を惑わすことばを語る者たちの誤りを、遠慮なく指摘し、正しい信仰を守り抜くよう勧めています。

ヨハネの黙示録(ヨハネの見た幻)
この世の終わりに
聖書の最後は、迫害の渦中にあるクリスチャンへの慰めと、将来起こる出来事の予告とでしめくくられています。教会は、今はこの世の権力のもとで、多くの苦しみを味わわされることでしょう。しかし、やがて神様が世界をまったく新しくし、正義をもって、完全に支配なさる時がくるのです。その時を望み見て、どんな時にも絶望することなく、あくまで信仰を貫き、神様に忠実に生きるようにと励ましながら、輝かしい未来の約束を与えて、聖書は終わります。

紀元一世紀の後半、クリスチャンは激しい迫害を受けていました。ヨハネも、教会の指導者ということで、地中海のパトモスという島に流されました。 そこで神様が、これから起こることを幻の中で教えてくださったのです。 今は、クリスチャンであるばかりに苦しい目に会わされていても、必ず報われる時が来る、悲しみも苦しみもない新しい世界ができる、と慰めてくださったのでした。 このことを、すべてのクリスチャンに知らせようと書かれたのが、本書です。